2015年6月10日水曜日

The DAY

少し、重い話ですが

自分のブログだから、いいかな、。。

今日は、膵臓ガンの疑いがある母親の検査結果を聞きに行く日です。

家族総出で

といっても、我が家は父はいないので兄と私と母の三人です。

朝からなんも手につきません。
かろうじて毎朝の瞑想こそしたものの、祈るばかりで思考が遮られ
練習は身が入らず。あたりまえか、、

ここのところ、
母親のことが気になって仕方なくて
ガンについて調べたり、最新治療をしてくれる病院がないか調べたり、
実家に顔を見せて
気にしていないフリをして
いつも通り他愛もない話をしたり。
落ち込んでいる母の気が
紛れるようにと、強引に用事を頼んだり。。

確定、したわけではない。

けど、ほぼ、ほぼ間違いない、とされている。

でも、信じたい。
ほんの少しの可能性を、
あるいは、誤診であることを。
祈っています。

自分ならよかったのに、
本気でそう思っています。
いまの私には、気力があるから。

母は、ずーっと、ずーっと、ずーっと苦労して生きています。
子供の頃から貧しくて小学校にもいけず、働いて、働いて、
やりたいこともせず
そのうち、やりたいことも忘れて、
いや、生きることに必死で
やりたいことなんて頭からなかっただろうけれど
母であること、子育てすること、
ただ、それだけを楽しみに生きてきたようなひと。
自分よりも、まず先に周りの人を優先させて生きてきたひと。
自分が苦しくても、助けてしまう。
自ら苦労を拾ってきてしまう。

私達が小さいころから、
家には毎日のように知らない人が遊びにきていて、
どうしたの?
と聞けば、
「食べるの困ってるからご飯食べていってもらうのよ」
だとか
親を亡くした子供を、家族のように世話をしたりだとか
パートナーを亡くされたひとのお世話をしたりだとか、、
いつも誰かのために何かをしている人でした。
それはいまもかわらずで。。

そして、いつも自分には何一つお金をかけずに
慎ましく暮らしているその姿に
子供ながら
どうして、お母さんはお母さんのためにいきないの?
お母さんのために、服をかいなよ、
お母さんのために、お金をつかいなよ、お母さんのために、おいしいものを食べなよ

そう思ったものです。

あ、脱線してきた、、、過去ふりかえったらなけちゃう。だめね。

すべての生き物には寿命がある。
頭は理解していても
感情が激しくうごきます。

いまから病院いってきます。


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