2018年1月8日月曜日

どうして、ヨーガなんだろうね? なんでインド行くんだろうね?

今日から
しばらく南インドにいってきます✈️



久々に勉強だけにコミットできる特別な時間が得られたことに感謝しかありません。
旦那さんを置いてひととき家庭をほっぽりだし、
あまり具合が良くなくて、気になる親を置き、
仕事も長期で休みを貰って
それでも我儘をつらぬく自分。
そんな状況で行かせてもらうわけで
普通に考えたら、あほちゃうか?
つっこみどころ満載ですが
それでも行く以上は、目一杯楽しんで(学んで)こようとおもう。
否、期待するのはちがうね
ただ、先生のところにいってくる。行きたいから行かせてもらう、行ける機会がやってきた、それだけやな!笑
理由なんて、どうでもいいことだ。


でも付け足しておくと、、、
四年前にトレーニングを受けに行ったとき、
あくまでその時はヨガて、なんだろね?のヨの扉をほんの少し覗き見したにすぎず、扉の前にたって、よし、この道を歩いてみようか。
ぐらいのかんじでした。
その時、先生が言ってたのが


限られた場所、整えられた環境、ととのえられた食生活
その中での修行は、集中してあたりまえで、それをいかに普段の生活で自分のものとしていくか。
それでもあなたがここに来れたことは喜ぶべきことで、それに感謝をして日常に戻りなさい。
日常こそが修行の場なんだよ、と。
そして最低3年たってまた学びたくなったら、戻ってきたらいい

そう仰られました。

そのときの自分は
トレーニングが修了するや否や
わたし、3年後に戻ってきます!!
いやすぐにでもまた戻りたい!
と豪語する始末。
いやいや、3年たったからどうのこうのやないで
中身やで
質やで
そんなことを旦那さんにもつっこまれましたが‥

この石の上にも三年、節は
尊敬しているシータ由美子さんもブログで書いていて
わたしも大きく頷いたものです。


資格ハンター
ディプロマハンター
気持ちいいことしたい、
ちょっと名がしれてほしい
あれも欲しいこれもほしい
もっとほしい、もっともっとほしい〜♪
(途中で、ブルーハーツの歌思い出して脱線。苦笑)

ほしいほしい星人や!笑👽

そうなってはならないと。
いや、実際私はそのテの資格をツラツラ自分の紹介で書きつらねるのは、なんか違うっておもうし
それでの判断しかできない場にいくなら
行かねーよ!!!

そんな風にもおもったりなんかして。
→捻くれ者ですよ、完全にw


何でもそうようですよね
身につくまでは時間がかかるもの
仕事にしたって
一年そこらじゃ、ようやく慣れたに過ぎないでしょうし。
それでわかったふりしてたら、職場の先輩に頭叩かれるかもしれへんよね笑


で実際のところ
この四年で、何かわかったか?
と言われたら
まぁわかっちゃいないでしょうね。
それが現実。
自らのハンドリングは少しずつ、
できるようになってきたかもしれない。
ただ、ヨガの練習をする、レッスンをさせていただく、ヨガを通して見える景色、
行いという経験を通して
考え方、見え方、捉え方は変化していきました。
迷いがなくなるというのか
とてもシンプルですっきりした状態。

ちょっとしたことで、もう迷わない。



私の過去四年のティーチングの(自分の想いの変化)過程は以下


1年目‥‥
やる気に満ち溢れて、とにかくクラスさせてもらいたい!とにかくシェアしたい!
でも自分がレッスンをするのに必死でまわりをみる余裕なし


2年目‥‥
少し余裕がでてきて、来てくださる方をちゃんと観れるようになってきた。引き出しを増やしたいと思うように


3年目‥‥
観察する目が養われ、全体を見れるように。臨機応変さに対応できるようになってきた。ようやく、来てくださる方に寄り添わせてもらっているかもしれない、という感覚


4年目‥‥
全員がハッピーになれるようにと、安定してその時々の状況に対応できるようになったものの、
自分のメンテナンスが後回しになってきた。
それによって大きく揺らぎはじめる。
職業インストラクターとしての自分に悩まされる。
そうではないのでは、とおもいはじめる。


→まさに2017年はココにいました。苦笑

ブログでもほんまよく書いていましたが
体調崩すことが多くなり、ヨガをしてると風邪ひかない説が崩れ落ちるという笑。
それもこれも、自己管理の賜物なんですね。要は自己管理できなくなったぐらい変化激しい年だったということですが、
でもそもそも、どんな状況であれ自己管理は行ってて然るべき、ということですよ。
わざわざ確認しなくてもふつう〜に苦笑。でもできたなかったんだら仕方ない。人間だし、認めよう笑。
認めると、身軽になって
できないことを責める負のループから抜け出し🌞✨


なぜ、自分はヨガをしたいと思ったのか?
なぜクラスをさせてもらおうと思ったのか?
そんなことをトコトン、トコトン考えて
一巡して戻ってきました。


ここで、ようやく
いま、自分はもう一度気持ちを
まっさらにして勉強したいという意欲が湧き上がってきたわけです。
4年、気がつけばあっという間。
でもまだほんの4年です。
でも得たものも大きい。それってありがたいことです。


果てしなく続くこの学びの鎖にのっかって、もう一度先生達にあって気持ちをひきしめたい。
完全に自分のための学びですね。
自己中、、やけどそれを自己中だけで終わらせない。その先につなげていきたい。ハッピーの連鎖を!


そんなこんなで
Sivananda yoga vidya peetham
門をもう一度たたくことにしました。


自分が経験して得た感覚や幸福感、
日々を生きる知恵
そういった毎日を生きる喜びをシェアさせてもらいたいです。おこがましいですが‥ほんとそれに尽きます
特別なことではない
ささいなほんの一瞬の美しさ
それらに気づく感度をあげていくこと
自分のチカラで自らを変化させれることを知り
人生が豊かになっていくこと
本来のあるがままをしり
愛をわけあたえながら
きげんよう生きていけること

先人、グル、師匠、先輩達の歩くまっすぐな道をみつめながら。


わたしがシヴァナンダヨガを愛してやまないのは

バランスよくすべてのヨガの道を
勉強できるからです。


そして
同じ線上の道にいる師や先輩達がいることでとても心強く、道がそれそうになったときに気づかせてくれる存在がいつでもあるから。
遠い存在ではなくて、インドの名称で、スワミジ(ざっくりいうと出家したその道の先生)ですら、分からないことを質問したらインドからメールで教えてくれる。

インドでアシュラムに入ると
そんなスワミ、先輩達と釜の飯を一緒にし、朝から晩まで寝食共にして学びを行います。
聞きたいことがあればいつでも聞ける環境。
朝の浄めから始まり
瞑想をし、先生の話をきき(講話といえばわかりやすい?)毎朝チャンティングをし、マントラを唱え、プージャが行われ
そこから1日がはじまります。
アーサナクラスを受け、
ヴェーダンタを学び
食事、sevaの時間、ヴァガバットギーターや、スートラ、解剖学、ティーチングクラス、食事、サットサンガ、チャンティング、各自自習、レポート提出
就寝

ざっくり言うとこんなかんじの1日。
休むひまなし笑

インドの伝統的な教育システム
グルクラにのっとって、デザインされています。

通常のグルクラは12年位。
幼少期から青年になるまで、様々な生活を共にした勉強を行うわけですが
シヴァナンダヨガはこのグルクラを元に
現代人に合わせて
期間は短いけれどそこに入門してトレーニングを受けることができるわけです。

そこで得れるものは
ディプロマ
だけではなく、、、、
(各々違うご意見と思いますがわたしの場合)
集団生活の中での立ち居振る舞い、役割、色んなエゴが出てくる自分を知りました。
いや〜な自分の側面とか
むきだしの自分にであう。
そんな己といかに向き合うか苦戦しながら知識の伝承を受ける

日本の伝統芸能の世界とか、きっとそんな形でもっと厳しいんだろうとおもう。何年もかけてね。

あらためて、人格が問われる、養われる気がします。

なのでね、
ほんのひとときの修行期間ではありますが身が引き締まり、
そしてそれを自分に持ち帰ることができる。遠く離れたインドから日本に。
そう思っています


🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮


私がシヴァナンダヨガに出会ったのは
偶然の暇暇時間をインド旅行中に持て余してたところからはじまります。


特に観光したいわけでもなく、、
インドに一人旅で来たものの、ふらふらと町をぶらつくか誰かと話するか、何か食べてるか。
そんなきままな自由旅行をしている中で
今でも忘れもしない光景。
トリバンドラム駅近くのバスステーションの目の前の宿で、ぼんやり行きかうバスを何台も見送り、排ガスにまみれながら
退屈しのぎにパラパラめくっていたロンリープラネットにシヴァナンダダンワンタリアシュラムというのが書いてあるページに目が留まったのです。

なになに、ごはんつき?宿泊できる?ヨガできる?〔→そんなにやったことないくせに興味本位〕しかも結構滞在費安いやん、、、
あらっ?しかもここからめっちゃ近そうやで‥ 行っちゃう?よし行ってみよか。あ、たしか友達の〇〇さんも行ったことある、てそういえば言ってたな。。

そんな、ええ加減で気軽な理由で
門をたたいたわけです。

そしたら、なんのなんの

!!!!わけがわからん!!!!!

財布とか預けさせられ
最低3日は滞在してください、
アシュラムを一歩でも出る時は許可を得る必要があること(→ということは基本的に外に出れないということ)
蚊帳渡され、大部屋に案内され
英語何言うてるかよう分からんし
何をどうしてよいのやら右往左往。
また行ったタイミングが悪かったのか?
後からわかったんですが
プージャの日か何かで、みんな準備に忙しい。
居てる人はトレーニング中であんまし口聞いてくれない‥

どないせえっちゅうねん!笑
と独り言を言いながらアシュラム内をウロチョロ。

そりゃそうです。
そんなところに飛び込みでいってしまってるのでヨガのヨもわからない自分が
かなりの余所者であることは間違いない。

でもね、
そのあとに参加したプージャでのマントラの美しさや光景、波動
できないなりに参加したアーサナクラスでのよくわからない心地よさ
いや、むしろまっさらすぎたから
偏見もなくすんなり入ってきたんでしょうね。
ふうん、こんな世界があるのかー。と。

最低滞在期間を過ぎて、
管理された食事のせいなのか
毎日行う瞑想のせいなのか
アーサナのせいなのか
それとも、それしかすることがないということへのシンプルさからなのか

妙に居心地がよくなり。

もう少し、ヨガ、というものに触れて
経験してからこのような場所に再び訪れてみたいな。

そんな思いが湧き上がってきたのでした。
ナンチャッテアシュラム体験てわけですね苦笑


そこから、それしか知らないからこそ
シヴァナンダヨガを勉強するに至り、
巡り巡って
いろんな先生に出会い、一本の道筋が、その先の先人達、学びの連鎖がハッキリと見えるこの先生のところでほんきで学んでみよう、そうやって辿った先に
スワミゴビンダナンダジの所にお世話になることに。


これもご縁なんでしょうね。


そして何より、南インドが肌にあったというのも大きい笑

北インドのデリーからインドに入って、南下したとき
自分のボルテージが上がり捲くったんですよ苦笑
古いオーディオの音量の針表記が
10ぐらいか一気にMax振り切るぐらい!
バビョーン!!!!!
て、南インドに入った瞬間
気候、人びとの優しい笑顔、言葉の違い、
デリーのグレー色の空から一気にカラフルな極彩色に切り替わるのを体感して
テンションもはやアゲアゲ。
その時に書いた過去の日記みたら、すんごいテンション高くなってた笑


それぐらい南国を自分が求めていたという。それって自分の過去の記憶と連鎖反応したんだとおもうんですけどね。
何度となく行っているバリやフィジーと重なって。安心感といいましょうか

そんな場所での修行、もはや楽しくないわけがない!→まじめにやれよwと突っ込んどこう。




今回はアシュラムの場所が少し移動してケララ州の北になっているんですが
想像以上にカントリーサイドと聞いています。
だからなおさら嬉しい。
何もない、て素晴らしいじゃないですか!!
大地と草木と広い空があれば、もぅ充分!

またこちらのブログかSNSかでシェアします笑。どんだけ何もない場所なのかいまから楽しみです。



というわけで
長文になりましたが


なんでヨーガ?なんでインド?
そんな事ともあらためて向き合いながら

ふかーくじぶんにもぐってきますです。


では、いってきます!